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コラム
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罪を憎んで人を憎まず
去る28日、松岡農相がみずから命を絶つという衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。このニュースを聞き、「死ぬ必要はなかったのではないか」「死ぬくらいなら堂々と真相を解明すべきだったのではないか」といった反応が多かった。いずれにしても、事務所の光熱費問題や緑資源機構をめぐる問題で、同相は死を選ばなければならなかったほど、追い詰められていたのだろう。ある閣僚は「進むも退くも地獄だったのだろう」と感想を漏らしている。「安倍内閣の犠牲者だ」と指摘する声もある。まずはご冥福を祈りたい▲確かにわが国では、死者への批判を慎む風潮があるし、死によって事件の幕引きをする場合も多い。だから、マスコミの中には、同相の死をもって一連の疑惑を棚上げしようとする論調がある。政府与党も政治資金規正法を改正することによって「政治とカネ」の問題をかわそうとしている。中には「彼こそサムライだ」などと述べ、死を美化する意見さえある。一方、野党の方も、さらなる追及には及び腰のようだ。だが、あえて「罪を憎んで人を憎まず」の観点から、冷静かつ客観的に指摘したい。松岡氏の死によって疑惑があやふやにされれば、今後、再び同じことが起こりかねないからだ▲松岡氏の農林水産行政への取組みは、その手法には賛否両論あるものの、概ね評価されよう。だが、政治資金をめぐっては、かねてから多くの噂が飛び交っていた。同氏が農林水産大臣に任命された際には、多くの人々の頭の中には数多くの疑問符が並んだ。だから事務所費の問題が表出した際には、「やっぱり」と思った者も多く、さんざん国会で追及されてきた。緑資源機構の問題でも、まったく無関係だと思った者は、永田町では皆無に等しい。閣僚として、また政治家として、まずは真相を語る必要があったのではないか。死者にはなはだ失礼ながら、語らずに自殺を遂げることは無責任の謗りを免れまい▲もう一つ指摘しておかなければならないのは、「死」に「出口」を求めることを批判すべきことだ。一連の疑惑は、もともと松岡氏によって引き起こされたものである。いわば身から出た錆だ。にもかかわらず、批判・追及され、追い込まれて命を絶つことは、青少年や社会全体に計り知れない悪影響を与える。思い悩んだことは理解できる。だが、死を選ぶよりも、むしろ堂々と釈明し、堂々と詫びる姿勢を示してほしかったと思う国民はすこぶる多い。安倍内閣は、教育再生を最重要課題の一つに掲げている。教育の基本は知識や知恵ではなく、まず命を尊び、嘘をつかず、素直に謝ることではないか。
(平成19年5月30日)
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