コラム

見きわめなければならない
首相の靖国参拝

あえて―「押し切って」「強いて」という意味だ。終戦記念日における小泉首相の靖国参拝については、賛否両論がある。各党の中においても、さまざまな意見があり、まさに国論は二分されている。さらに、たとえ賛成であっても、「最後だから仕方がない」「公約だったから」といった消極的賛成も少なくない。しかし、今回の参拝の枕に「あえて」を付ければ、多少なりとも議論は煮詰まるかもしれない。なぜ、あえて退任直前の終戦記念日に参拝しなければならなかったのかと▲小泉首相は「いつ参拝しても近隣諸国からの反発は変わりない」ことを、理由の一つとして強調した。毅然とした態度を評価した人が少なくないことは、率直に認めなければならない。だが、果たして「総合的に判断」して、これが最善の選択だったのかどうか。いたずらに近隣諸国を刺激しただけでなく、その国々に住む邦人を危険に晒すことが、果たして国益に適っているのかどうか▲そもそも靖国参拝を総裁選挙での公約に掲げ、英霊に哀悼を表することを「政争の具」にしたこと自体、問題があった。首相に就任する前、小泉氏が熱心な靖国参拝論者であった形跡は見当たらない。「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」で活躍した記録も見当たらない。強硬な態度をとり、タカ派的なリーダー像を醸し出すための「手段」に神聖な靖国神社が用いられた、といえなくもないのだ▲「首相の参拝を英霊は喜んでいるだろう」といった意見もある。だが、国民が挙って英霊に手を合わせ、頭を垂らすことこそ、彼らの霊を真に慰めることになるのではないか。参拝を公約に掲げ、格好よく意地を張るよりも、英霊のためにもっと必要なことがあったはずだ。それは、天皇陛下はもとより、国民の誰もが訪れ、英霊に感謝と哀悼の意を表せる環境を整備することだった。だが、この5年半、小泉首相がそのようなことに取り組んだ話は、とんと聞かれない。靖国参拝までも「劇場政治」のために用いたとしたならば、それこそ英霊への冒涜であり断じて許されまい。

(平成18年8月16日)

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