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コラム
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ラクダに乗っている間に
大山鳴動して鼠一匹、とは思わない。去る15日、国連安全保障理事会は、対北朝鮮非難決議を全会一致で採択した。議長声明ではなく、「決議」が採択された意義はそれなりに認められる。だが、ミサイル発射実験直後、首相官邸は「制裁決議」を求めるといきり立っていた。それに比べれば、今回の決議は尻つぼみの感が拭えない。「日本が頑張ったから決議になった」「制裁は含まれている」と豪語してみても、どうも詭弁に聞こえる▲所期の目的を達成できなかった理由は、いくつもある。欧米諸国の関心が北朝鮮ではなく、中東情勢に向けられたことも、その一つだ。日本政府が今回も米国頼みに終始したことも、結果的に裏目に出たかもしれない。日本への「思いやり」もあって、当初は強硬姿勢を保っていた米国が、徐々にトーンダウンしたのも、安保理を割りたくなかったからだろう。たとえ同盟関係にあっても、どこの国でも自国の利益を第一に考えるものだ▲困ったのは、他ならぬ日本である。拳を振りかざしたはいいが、「落とし所」を十分に考えていなかったからだ。現実政治の世界では、ときには激しい駆け引きが必要とされる。交渉を巧みに進めるためには、周到な準備も根回しも求められるし、他国との連携も不可欠だ。だが、日本は米国を命綱にしただけで、飛び込んでしまった。米国の態度が変わった途端、「制裁決議」を諦めざるを得なくなったのも、このためだ▲右手で米国と、左手でアジア諸国と手を固く握り合っていることこそ、日本の強みのはずだ。だが、大島大使が国連を駆けずり回っている間、小泉首相はヨルダンで「ラクダに乗るのも楽じゃない」と駄洒落を飛ばすだけだった。この10日間、日本の総理がたったの1回も中韓の首脳と話さなかった、話せなかったことは驚きだ。「東アジアの声」が統一されなかったことこそ、欧米諸国が北朝鮮問題への過度な関与を控えた最大の理由だろう。北朝鮮を国連の「白州」に引きずり出す千載一遇の機会を逃した責任は、決して軽くない。
(平成18年7月19日)
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