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コラム
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今も残る「サムライ魂」
日本人で『忠臣蔵』を知らない者は皆無に等しい。いや、読者は広く世界に点在する。すでに100年前、米国のセオドア・ルーズベルト大統領はその英訳本を愛読していたという。だが、あらすじを知っていても、映画やドラマを見るたびに、大石内蔵助をはじめとする四十七士の生きざまに涙するものだ。主君の仇を討つための艱難辛苦、幕府の理不尽な沙汰に対する身を挺しての異議申し立て、そして仇討ちの後の見事な最期は、人々の琴線に激しく触れる▲もとより『忠臣蔵』は物語であって、歴史を検証してみれば、脚色も見出される。だが、われわれが今日でもこの物語に感動を覚えるのは、浪士たちの筋の通し方、大義のために私欲を捨てる生きざまに、多かれ少なかれ、憧れを抱くからだろう。桜の花にも似た散り際の美しさも、感動を大きくしている。もしも討ち入りが幕府に許され、浪士たちが新たに仕官していれば、琴線に触れる物語にはならなかったはずだ▲私欲を捨て、筋を通した行動は、近・現代の政治の世界でも、しばしば見られた。たとえば昭和28年、ワンマン宰相・吉田茂が西村栄一議員の質問に「バカヤロー」と暴言を吐き、内閣不信任案が上程された際、鳩山一郎らは自由党を離党して賛成票を投じた。総選挙の後、多くは自由党に復党したが、三木武吉や河野一郎、松田竹千代らは気骨を見せて在野に残り、日本自由党を結成した。当時、上映されていた黒沢明監督の映画『七人の侍』をもじり、彼らは「八人の侍」と称された▲翻って、今の政治家で、このような気骨のある者は、どれだけいるだろうか。弱りかけている者の背中を踏みつけることはしても、正論で強者に堂々と挑む者はなかなか見当たらないのが現実である。しかし寄らば大樹の陰の喩えのように、筋を曲げても後生を大事に生きようとする政治家に、果たして日本を任せられるのだろうか。陰では小泉政治の暴走を憂い、嘆きながら、干されることを恐れてモノを言えない政治家に、国家と国民の未来を託せるだろうか。国民新党は四十七人には遠く及ばないが、わずか七人であってもサムライ魂を貫く政党でありたいと思う。
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