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コラム
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将来の「もしも」に備えよ
クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう―いわずと知れたパスカルの名言である。だが、過去から学ぶことは必要でも、歴史を仮定で考えてみても詮ないことだ。「もしも5年前、田中真紀子氏が小泉氏を応援しなかったら…」「もしも民主党が偽メールで墓穴を掘らなかったら…」―その後の流れは大きく変わっていたかもしれない。しかし、このような「もしも」はやはり詮ないことだ。「もしも宝くじが当たったら何に使おう」と考える方が遥かに建設的である▲しかし、現在と将来については、「もしも」を考えることは極めて重要だ。地震対策も防犯対策も、「万が一」のことを想定している。もとより想定通りに運ばないのは世の常である。どれだけ避難訓練を重ねてみても、いざ災害のときに予期せぬことが起こることは珍しくない。だが、それでも危機や最悪の事態を想定し、対策を練ることにはそれなりの意義がある。いや、その対策を練り、講じることこそ政治の責務である▲小泉首相の強い思い入れと思い込みで民営化が決まった郵政事業だが、もしも阪神球団の買収で世間を騒がしている某ファンドが新会社の株式を大量に購入すればどうなるか。もしも中国系企業が大株主に躍り出たら、国民の貴重な資産は中国の国債に充てられないか。中国との関係を悪化させた小泉首相が、結果的に郵政民営化で中国を利すれば、まさに運命の皮肉だろう。だが、これらの「もしも」は、決して過去の「もしも」ではない▲先に成立した行革推進法は、今後も小泉改革を継続させるためのものだ。今秋以降も、自民党が小泉路線をひた走る可能性は極めて高い。大都市や大企業、IT産業の優遇、格差の拡大に拍車がかかることにもなる。しかし、この流れを単に所与のものとして受け入れてよいのか。拱手(きょうしゅ)し傍観していても、不満や不安は募らないのか。答えは否である。そしてこの闇雲な改革路線に「待った」をかけられるのは、1年後の参院選挙に他ならない。ムードだけで投票してしまっては、この暴走政治はクレオパトラの鼻と同様、後世、「もしも」でしか語られなくなる。過去の「もしも」を考えることは詮ないが、郵政問題にしても格差問題にしても、現在と未来の「もしも」は国民の力で変えることができるのだ。来年夏は将来の「もしも」に備えた1票を期待したい。
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